こんばんはじゅんやんですぅ^u^
いつも更新が夜遅くになってしまうのやめたいです笑
たまにはこんにちわで始まりたいです^q^
結構皆さんブログいいね!って言ってくれるので頑張れそうですじゅんやんです^q^
それはそうと、もうすぐ2月ですね!寒いね!ね!
就活生の私はいまだに毎日うむうむと将来のことについて悩んでいます・・・。
「グローバルに働きたい」という漠然とした思いをあるのですが、
「なんで?」と自問自答を繰り返すうちにこんなかおに→(-`ω´-)
私は今まで目の前の興味のあることや好きな事に全力で取り組んで来たので、
あまり将来のことを考えた事がありませんでした。
そして、何事も考える前に行動して22年間過ごしてきました。
ただ今は多分これからの私の人生、未来を左右する大事な時期だと思ってます。
従って、ここで悩む事を放り投げたら、きっと後悔すると思います。
就活も内定とってから考えろよ!って言われることもありますが笑、
ここで頭が禿げるくらい悩むことはきっと私にとって必要なことだと思ってます。
禿げたら皆さんそのときは、・・・よろしくお願いします^^
さて今日は前々からブログに書こうと思っていた22年間の自分の人生を
ゆる〜く振り返ろうと思います。
別に就活のためとかではなく、時系列にそって思いだしたままをただ羅列する感じです。
そして思い出に浸ろうっていう←^q^
私は語り始めると長いので、多分何回かに分けて更新しようと思います。
「じゅんやんの自分史〜この地球に生まれて〜」←笑
さて生まれからいきましょう。
じゅんやんは1989年4月7日に福岡市の病院にて生まれました。
ちなみに私は、春に生まれたのでほんとは「さくら」と名付けられるはずでした。
この「じゅん」という名前は兄につくはずでしたが色々祖父母との話し合いで笑、
この名前が私へと流れてきました。
*「じゅん」について
ちなみに私は小さい頃、この男の子のような名前が大嫌いで、
心の中で「絶対に市役所に行ってさやかに改名してやる」とか思ってました。笑
↑ちなみにさやかと言うのは当時好きだった天才テレビ君の女の子の名前でし^q^
*家庭環境・家族について
最近になってしみじみ感じますが、
私の人生観には両親が大きく影響していると思っています。
特に母は私にとって人生のロールモデルのようなもので、
彼女には全面的な尊敬と信頼をおいています。←これ日本語おかしい?
なのでここはなるべく丁寧に、きちんと思い出しながら綴りたいと思っています。
私の両親は共に高校の教師をしています。(母は英語、父は体育です)
父は福岡から大学進学の為に上京。母は東京出身です。
ふたりは大学時代に出会ったそうですって話が細かすぎるから割愛ww
あと、私には5つ上の兄がいます。兄は現在大阪で小学校の教員として働いています。
さて、教師という職業柄両親はとても忙しく、
私はおばあちゃんに育てられました。
ほんとに「おばあちゃん子選手権」があるならmust be number 1ってくらい、
おばあちゃん大好きです。
おばあちゃんのことも話が長くなるので割愛wこれはまた今度書きますw
家庭環境の話に戻りますが、
私は大学生になるまで「家族」があまり好きではありませんでした。
両親は教師という職業柄とても忙しく、そして私にとって怖い存在でした。
よく一緒に出かけたり、遊んだりする仲良し家族な家族団らんな思い出は、
あまり思い出せないかなぁ・・・。多分忘れてるだけかもしれませんが。
仕事でくたくたになった両親との食卓は、会話もありませんでした。
両親はよく口喧嘩や怒鳴り合いもしていました。
(両親も若かったし、共働きという関係はとても大変だったと今は理解できます)
私はそれが嫌で、いつも近所のおばあちゃんちへと逃げていました。
私は両親がいやでいやで、
学校は元気でも家に帰ると無口でぶすっとした女の子になっていた気がします。
目をあわせるのもなんか、すごく嫌だったので話す時も下を向いて話していました。
中学生の反抗期の時に、泣きながら
「ママから生まれてこなければよかった。」と言ったこともあります。
そのときは「じゃああんたなんか生まなきゃよかった。」って言われたけどね。笑
私は自分が愛されていないんだと毎日思っていました。
私の為にあくせく働く両親の気持ちなど知らずに。
今思えば、子供の私が笑顔で両親を迎えて、
仕事でつかれた両親を元気にさせてあげられたらよかったのになぁ。
そんなわけで、お掃除やお洗濯、ご飯を炊いたりお手伝いは私の役目でした。
う〜ん、そろそろ時系列で振り返っていこうかな。
*幼稚園時代
じゅんやんは市内の割と評判のいいクリスチャン?の幼稚園に通っていました^u^
背は女の子の中では高め。いつも外で元気に鬼ごっこ!!アスレチックぅ!!
ちなみに先生に色紙でお手紙書くのが好きでした^^
幼稚園の先生は「じゅんちゃんはお利口ね」といつも言ってくれたので大好きでした。単純か
そして私は、なぜか「おうどいろ」(つまりベージュ)のクレヨンが大好きでした。
今ふと思い出したんですが、図工でおめんを作るとき、
女の子はみんな赤やピンク、オレンジなどのクレヨンを多用していたのに、
私は「おうどいろ」一色で塗りまくっていました。今思うと謎。笑
お弁当はいつもおばあちゃんがサンドイッチを作ってくれたのを食べていました^u^
*小学校時代
じゅんやんは地元の小学校に入学。
入学式は母に派手なドレスを着せられます。笑
私は、自慢になりますが成績優秀でとても良い子だったと思います。
宿題も家に帰ったらお菓子を頬張りながらさくさくやっていました。
勉強は、楽しかったです。
好きなことはドッジボールで、ほんとドッジばっかりしてました。笑
小学校6年生ではキャプテンになり、区では優勝しました。
部屋にいるより、外で男の子達と遊ぶほうが好きでした。
通知表には大体「明るい、元気、楽天家」の3つがかかれていました。
私はこの頃からお洋服が好きで、ニコラを愛読し、
かわいいお洋服を研究していました。
サンタからのプレゼントはいつも洋服でした。笑
今思い返すと、私は小学生のときは少し気が強すぎたと思います。
例えばクラスで、軽くですがいじめられていた男の子がいました。
私はいじめるやつにも注意しましたが、その男の子に
「いじめられたくないならもっとしっかりしなよ!鼻水ふいて!」
的なことを言った記憶があります。
そこで手を差し伸べるような優しさは持ち合わせておりませんでした・・・笑
当時私の兄は塾通いで中学受験をして、有名な附設に入学しました。
教育熱心な母はそんな兄に勉強を毎晩教えていました。
私はかまってもらえず、悲しかったです。受験しなかったので仕方ないですが笑
この頃から家族=好きじゃないという感情が形成された気がします。
かまってもらえなかった私は、本を読むことが好きでした。
そのせいか国語の成績はいつも良かったです。
福岡県のラジオで作文を読んだこともありますww
あと、私は生き物が大好きでした。
よくバッタやトンボ、すずむしをとったり、カブトムシを育てたりしていました。
あとモンシロチョウとかね。
ばあちゃんの庭でいつも目を輝かせながら虫を探していました。笑
ちなみにわんちゃんが好きだったので、
当時の夢は「犬の訓練士さん」でした。マイナー。笑
なんかすごく長くなったのでここらへんできろうと思います。
あんまり長いの読むと疲れちゃうもんね^u^
自分のことばかりで、つまらないと思いますが・・・。
次は中学時代からです。反抗期coming soooon!:)